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地震のとき 〜英雄 by KDDI〜

 地震のときの話をしようかなと思い、今筆ならぬキーボードを触りました。
なんかしばらく更新する気になれなかった。つかできなかった。

まぁ更新しても誰も見てないに等しい寂れたブログだから、こんなん書いても自己満なんですがね。


地震のとき、私はカラオケで、生徒会のメンバーと送別会をしていました。
無論、盛り上がっていたし、この後はフツーに解散してフツーに帰るのかなと思っていました。
地震が起こるとか、誰も考えてなかった。
予約した曲が回ってきて、私は歌うことに。
曲が流れ始め、前奏を終えたくらいのときに、

揺れ始めました。

ポコポコと揺れて、「あ、いつもの地震か」なんてくらいしか思いませんでした。
でも、どんどん地震は強くなっていきました。

「これはやばい」

そう思ったときには、部屋はガコンガコンという気味の悪い音を立て始めたのです。
地震の衝撃を和らげるものの音らしいですが、私には、部屋が建物から外れて落下するか、
もしくは崩れるのではないかという恐怖を感じました。

部屋は停電し、曲もテレビも電気も止まり、コップが床に落ちて割れる音がしました。
長く長く揺れ、揺れが収まった後、元三年生の先輩方と、会長を含めた二年(当時)と、後輩ズは、
後輩一年(現在の二年)I氏、見ず知らずのお客さん、カラオケの従業員の誘導のもと、外へ避難しました。
壁はかろうじて崩れてはいないものの大破していて、今回の地震の強さを物語っていました。
電気が止まっているので明かりがなく、薄暗い階段を転ばないように下って、外に出ました。

地面が盛り下がった道路を目の当たりにしました。

たくさんの人が外に避難していて、携帯で必死に連絡を取ろうとしていました。

電話はつながらず、家族の安否は不明でした。

不安を抱えながら、まだ寒い外で立ちすくみました。

しばらくすると、警察がパトカーの拡声器か何かで今回の地震の震度を告知していました。

途方に暮れながらも、元の性格のせいか、だんだんと場になれて、音楽を聴く余裕が出てきました。
「こんな時こそゆっぺだ・∀・」  ※ゆっぺ…ゆよゆっぺ。ボカロPとして活動。バンドもやってるとかなんとか…

のんきに音楽を聴き、心が落ち着きました。
先輩方は携帯のワンセグか何かを見ながら、ニュースキャスターがヘルメットを被っていることに面白がっていました。まぁ面白かったのは間違いないですがw
後輩ズと談笑しながら、先輩方の珍行動を眺めながら時間をつぶしていると、雪が降ってきました。
ぼたぼたと、どこかおかしな雪でした。
その雪が降ってきたことに関して、はしゃぎまくる先輩方(つか本当にすごい)
一層その場は寒くなり、日も傾いてきたので、私たち生徒会一行はS先生の家へ向かうことになりました。
恐ろしいほど長い道のり。
足が痛くなり、休みたい、でも歩かなくてはいけませんでした。
情報もあまりなかったし、まだパニックが抜けていなかった部分もあるかもしれませんが、この時の最善がS先生の家に行くことという結論をバカな頭は打ち出したのです。
途中後輩ズの一人H氏が抜けました。
家族が迎えに来たとかなんとか…
後輩ズはI氏一人になりました。
途中コンビニに寄り、トイレ&買い物を済ませ、ただひたすら歩きました。
この間、何度も余震が起きました。
でも、途中で迷ってきて、どこがどこだかわからなくなったころ、
W・H区役所にたどり着いたのです。(どこと開示はしません。あとW・Hという区役所はないです
区役所についてひとだんらくした私たちは、買い物で買ったお菓子などを食べました。
なるべく残しながら。
しばらくすると非常食のかんぱんと水の配布が始まり、もらってきました。
でも手をつけませんでした。(さっきも書いたとおり。残すため
やがて、人がスシづめ状態の区役所から移動することに。
すぐ近くの新しい建物で、耐震強度が高い建物だったようで、被害はほとんどないに等しい建物でした。
移動中、停電のせいか夜空を見上げると星がいつもよりきれいに見えました。
そう感じた人は多かったようで、生徒会以外にも「きれい」と言っている人は何人かいました。
建物に入ると、暗くて入るのに少し戸惑いました。
人の流れに任せながら進んでいくと、ござがひかれた部屋に入りました。
明かりはろうそく、暖は人。
ずっとその部屋に篭っていました。連絡をつけようにも、つながらず、何度も何度もかけたせいで電池も消耗していて、バッテリーを守るのに精一杯でした。
何時間たったのでしょうか。やがて、生徒会の一人が親に迎えを頼むことに成功しました。(先輩方はそれぞれ帰ったような気がします)
その人の親の車に、私たち二年と一年は乗せてもらうことができました。
窮屈でしたが、ほんのり幸せでもありました。
なんせ、連絡が取れないということは行方不明だったわけですから、やっと親に無事を伝えられるというだけあり、安心していたのです。
他のメンバーも個々の家に帰り、私も我が家に戻ってきました。
家族は避難はしておらず、石油ストーブで湯を沸かし、暖をとり、明かりさえも獲得していました。(石油ストーブ便利すぎwwwwww)
いろいろあったことを家族に話しました。そして、W・H区役所に向かったのは間違いだったよと家族に教えられました。
津波が迫っていたそうです。
何はともあれ無事ではあったので、非常食(なのかなぁ)のカップ麺を食べ、その日は眠りにつきました。
3/11のことでした。

自己満足にもし付き合って下された方がいらっしゃるならば感謝感激です!
ありのままをお話しました。
この後々は水道が出ないから水汲みとかソーラーありつつ発電しねぇのなんでやねんとかですw
避難こそはしないものの半月ほどお風呂には入れず、頭がどんどん痒くなっていく物語ですね←
今現在は震災前の生活に完全に戻っております。
心配してくださった方々、ご心配そしてご迷惑をおかけいたしました。
こちらの内容はmistにも掲載させていただきます。
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